わたしのりんご〜The Apple Of My Eye〜

高身長womanふへまるが好きなことを書くブログ

ツメが甘い私を卒業するために

ツメが甘い。そんな自分とさよならする。

 

ツメが甘かったと自分の行動に後悔を抱くことが最近短期間に2回あったため、自戒の意味を込めて。

 

 

 

デッドラインが明らかだったり今した方が後々安心して過ごせることが分かったりしている状況にもかかわらず、今やらなくても大丈夫だろうもう少ししたらまとめてやる方が効率的だと安易に先延ばしをして、ギリギリになってからやり、ある程度のデキにはするものの結局は本来自分が求めていたはずの完璧な形からは少し欠けてしまう。小さな損をしたりミスをしたり。

点数で言うなら、85から95点。満点じゃない。

自分が求めるものが一般より高い基準でそれに対する要求も多いにもかかわらず、それを欲しい形で得られることを確実にするための努力や過程を昔よりも疎かにしがちになっている気がする。

 

今回続いたのは小さなことで、少しの我慢や出費で済んだからいいものの、本来しっかりと見て考えて行動すれば求める完璧な結果を得られたはずだった。

 

昔は今よりももっと臆病で心配症で自意識過剰で失敗をするのが恥ずかしくて誰にも頼れなくて、でも望むものは今と同じで誰よりも多かった。だからこそ何をするにも一生懸命考えて欲しい結果を完全なる形で得ようとしていた。毎日もがいて得ていたはず。

少しでも失敗したときには自分に腹が立ち、それを考えているときの胸の痛みには毎回吐きそうになったのを覚えている。

 

過敏で毎日何をするにも考え過ぎて苦しかったあの頃より、今は確かに楽になった。

たくさんのものや人に慣れ、大抵のことはうまくできるようになった。昔よりは広い世界を知ったから、ある程度の妥協も覚えた。例え小さくても身体中掻きむしりたくなるほど嫌いだった失敗にもある程度慣れた。

胸の痛みは減った。

 

なあなあでも大体はうまくいくことを知った。

胸の痛みは減った。

ただ慣れたのか。

 

でも、これでいいのか。

私が望むのはこの程度か。

 

前から考えて逆算して動けば、全部簡単に完璧にできたことじゃないか。

昔なら考えて胸が締め付けられるような小さな損失だって生まれなかったはずじゃないか。

 

幾ら心身を削っていたとはいっても、あの頃の幼い私できていたことが成長した今の私にできないわけないだろう。

 

昔のように、苦しんで全てに注意を払ってびくびくしながら毎日を生きる必要はない。今なら分かる。

けれど、あの頃と同じ、否、年齢が上がって欲しいものの世界・レベルが桁違いに上がったのであれば、それに見合うできる限りの努力と注意は払うべきだ。

分かるはずだろう、もう子供じゃない。

 

自分が何を望むのか求めるのか、それにはどれくらい時間が必要なのか、では何を今すべきか。

着実に見て考えて、進め。

迷うな。

必ずできる。